植松 さとし 家族。 【悲報】植松されなかったガ●ジ25人 やまゆり園で虐待される

植松聖生い立ちと絵がうまい!高校大学や親の現在,死刑確定望む声

植松 さとし 家族

植松聖の生い立ち・経歴 植松聖という男のことを、あなたは覚えていますでしょうか? 相模原障害者施設殺傷事件という、痛ましく恐ろしい事件を起こした人物です。 戦後に起きた最悪の事件とされる、この相模原障害者施設殺傷事件が起きた当時、彼の異常さとあまりにも悲惨な出来事として、ニュースではこの話題で持ちきりでした。 身柄を移送するために乗せられた車内にて、彼が浮かべていた狂気じみた笑顔が記憶に残っている人もいるのではないでしょうか。 まずは、この事件の犯人である植松聖という人物について、その生い立ち・経歴からご紹介していこうと思います。 植松聖の生い立ち 引用: 植松聖という人物を知るには、まず、どのような生い立ちであったのか?どのような経歴の持ち主であったのか?ということを知ることが必要でしょう。 ある人物を知るには、どのようにしてそうした人格が形成されたのか、という過程を知ることが重要です。 つまり、生い立ちを知っていくことで、植松聖の現在についても理解しやすくなるのです。 そこで、まずは植松聖の生い立ちからご紹介します。 植松聖は1991年1月20日に、東京都・日野市の多摩平団地にて生まれました。 植松聖の家族に兄弟はなく、植松聖は一人っ子長男であり、家族構成は父親と母親、そして植松聖と三人家族です。 植松聖の生い立ちの一つとして、日本国籍を持ちつつも、 在日韓国人であるという話が彼の同級生によって語られています。 植松聖と両親一家は、同年の1月、相模原障害者施設殺傷事件が起きてしまった神奈川県・相模原市に引っ越しています。 その自宅は、相模原障害者施設殺傷事件の現場となった 知的障害者福祉施設・津久井やまゆり園から、たった500メートルほどの距離にあったそうです。 植松聖の子供時代 引用: 植松聖の生い立ちの一つとして、子供時代の植松聖がどのような評価を受けていたのかをご紹介します。 植松聖はとても心優しい性格だったようで、猫がいじめられているのを見れば庇ってやる、というような行いもしていたそうです。 こうした、平和主義や弱き者を守るという話が出る生い立ちが過去にあったと知ると、その後、相模原障害者施設殺傷事件を起こすような成長を辿る生い立ちであったとは思えません。 また、家族である母親・父親からは「さとくん」という愛称で呼ばれ、一人っ子だったこともあってか、母親・父親両方からとても可愛がられて育ったようです。 植松聖の家族である母親・父親の溺愛ぶりからすると、彼が生まれてから成長していく中での生い立ちで、特別苦しい家族関係の中にあったとも考えにくいでしょう。 植松聖の生い立ちとして、こうした心優しい面を感じさせるエピソード、微笑ましいエピソードを知ると、子供時代の植松聖には問題があるようには思えません。 むしろ 「明るい子」「礼儀正しい子」など、周囲からの評価は大変良い、いわゆる優等生的な子供であったようです。 引用: 植松聖の生い立ちとして、大学卒業後にはどうしていたのか?こちらも気になるところでしょう。 尊敬していたのであろう家族・父親と同じ教師にはなれなかった植松聖は、大学卒業後には自販機の設置業者やデリヘルの運転手など、様々な職種を経験しました。 そうした中で、2012年の1月1日に、悲劇の相模原障害者施設殺傷事件の舞台となってしまった知的障害者福祉施設・津久井やまゆり園に非常勤の職員として採用されます。 そして翌年の8月に行われた、施設を運営している社会法人の就職説明会にて評価され、植松聖はやまゆり園の常勤職員として、2016年の2月に退職するまで勤務していました。 相模原障害者施設殺傷事件という恐ろしく残酷な事件の犯人・植松聖の生い立ち、そして彼の生い立ちから感じ取れる家族関係の良好さ、周囲の人々からの評判を考えると、こうした取り返しのつかない間違いを起こすことは、その人物像からは想像できなかったことがよく分かります。 しかし、植松聖が相模原障害者施設殺傷事件を起こすまでの生い立ちの中には「好青年」というイメージを覆すエピソードもいくつも存在しているのです。 家族である父親と同じく教師を目指していたはずの植松聖は、恵まれていたとも感じられる生い立ちでありながら、なぜ道を外れてしまったのか。 植松聖の異常な行動については、この後にご紹介します。 彼が望んでいた「家族である父親と同じ教師になる」という夢は、叶わずに終わりました。 その原因となった出来事も含めたエピソードの数々は、植松聖の異常性がよく分かる内容ですので、こちらもチェックしてください。 相模原障害者施設殺傷事件の概要 引用: 植松聖が起こした相模原障害者施設殺傷事件というは、一体どのような事件であったのか? この項目では、相模原障害者施設殺傷事件の概要を解説していきます。 事件前からその後、逮捕から裁判、そして現在に至るまでをご紹介しますので、順を追ってこの事件を辿っていきましょう。 相模原障害者施設殺傷事件は、2016年の7月26日に起きた事件です。 相模原市にあった知的障害者福祉施設・津久井やまゆり園が、事件の舞台となってしまいました。 この相模原障害者施設殺傷事件による被害者は、負傷者が26人、そして19人が殺害されるという非常にショッキングな事件でした。 植松聖は、施設の職員たちを結束バンドで拘束し、職員に対しては 「障害者を殺しに来た」と言ったそうです。 そして、職員たちの目の前で、入居者たちを殺害していきました。 植松聖は、凶器としてナイフなどの刃物を5本所持しており、犯行の際にはまず入居者に声をかけ、返事がないことを確認し犯行に及びました。 しかも、入居者の名前を叫んでいたこともあり、特定の人物を狙っていたともされています。 更には、犯行時に勤務表を確認し、自分よりも体格の良い職員がいないかなどを調べていたり、凶器などを詰めるバッグとしてスポーツバッグを用意し、より行動しやすくしようと考えていました。 これらの行動からも、この相模原障害者施設殺傷事件は 計画的に行われたものだ、とされています。 【相模原障害者施設殺傷事件】事件前 引用: 植松聖は、相模原障害者施設殺傷事件を起こした2016年の7月26日より時を遡り、同年2月までは惨劇の舞台となってしまった津久井やまゆり園にて働いていました。 勤め始めは熱心だったようで「入居者のことがかわいい」とまで言っていたようです。 その生い立ちとしてご紹介した子供時代の彼の評価は「心優しい少年」でした。 この時点では、相模原市障害者施設殺傷事件のような大事件を起こすような気配は見られなかった、と考えられます。 しかし、植松聖の先の「入居者のことがかわいい」との発言から感じ取れる、入居者たちに抱いていた一種の慈しみのような感情は、次第に変質していったようで「思い通りにいかない」という発言もしていたそうです。 この時点で、植松聖による入居者への暴力・暴言などの異常な行動が見受けられるようになり、何度も面接や指導がありました。 更に、直接的な業務との関係はないものの、刺青を入れるなどの行為もあり、そうした問題行動が目立ってきた頃には、やまゆり園の職員が「植松聖が入居者に対して暴力を振るっている。 どうすればいいのか分からない」と、元職員だった人物に相談していました。 植松聖はやまゆり園で仕事をするうち、どういった心境の変化か 「重度の障害を持った人間は、生きているべきではない。 安楽死させるべきだ」などという思想を抱き始め、同僚職員に対し 「重度の障害者を殺す」などといった不穏な発言もしていたそうです。 この出来事から、植松聖が抱えていた異常性は理解できます。 施設側はこうした植松聖の行動を深刻な問題として捉え、警察へと相談します。 その結果、植松聖には「他者を傷つける可能性がある」とし、植松聖に病院で精神的問題の診察を受けさせることになりました。 その結果、植松聖は大麻精神病・非社会性パーソナリティー障害・妄想性障害・薬物性精神病性障害などといった、複数の診断を受けました。 これらの診断を受け、植松聖は措置入院します。 そして、植松聖は体中に彫っていた刺青、施設の入居者に対する暴力行動を理由として、解雇されました。 また、2016年の2月17日には、植松聖は自身の友人たちに向けて、相模原市障害者施設殺傷事件の実行を匂わせる不穏なメッセージをLINEで送っています。 「重度の障害者を生かすには、莫大な費用がかかっている」といったことから始まり、自らの考えを述べた内容でした。 しかも、その後に友人に電話し「一緒に実行してほしい」と言ったり、反論してきた友人に対しては「殺してやる」といった脅しをかけるなどの行動も取りました。 植松聖の主張に怒りを覚えた友人が、彼を殴って考えを改めさせようとしても、一切取り合わなかったそうです。 【相模原障害者施設殺傷事件】事件後 引用: 相模原障害者施設殺傷事件を起こしたその後、植松聖は自ら神奈川県警・津久井浜署に出頭し、身柄を確保されました。 しかし、犯行後に自らのTwitterアカウントで 「世界が平和になりますように。 beautiful Japan!!!!!! 」という投稿をしていることから、植松聖が犯行を後悔していたり、自責の念を感じていたとは考えにくいと言えるでしょう。 更に、出頭前にはコンビニに立ち寄り、菓子パンを購入するなどしていました。 そもそも、相模原市障害者施設殺傷事件のような事件を起こすなどということは、通常の感覚であればありえないでしょう。 しかし、そのようなとんでもない大事件を起こした後の行動としても、これは異常であると言えます。 後悔や焦りなどといった感情が感じ取れません。 【相模原障害者施設殺傷事件】逮捕・裁判 引用: 逮捕された後の植松聖は、取り調べに対して 「やまゆり園を辞めさせられたことを恨んでいた」というのを、動機の一つとして答えたようです。 その他にも、やまゆり園にて働いていた際にも零していた「障害者はいなくなるべき」 「障害者は生きる価値がない」といった内容や「神からのお告げ」などといった異様な発言もありました。 より掘り下げていくと「国が障害者の安楽死を認めないので、自分がやった。 自分は救世主だ」「障害者を持つ家族を哀れに思うし、事件を起こしたのはその不幸を解決するためだ。 こうした考えを持っているのは自分だけではないはずだが、誰もこの問題を解決するようなことを実行しないため、自分がやった。 これは日本のためである」という旨の供述が捜査中に出てきたようです。 捜査中には精神鑑定もあり、その中で、植松聖は自己愛性パーソナリティー障害などといった複合的なパーソナリティー障害を抱えている、ということが判明しました。 しかし、相模原市障害者施設殺傷事件における植松聖の行動には「計画性がある」「合理的な行動をしている」ことなどを始めとした理由から 「犯行時には心神喪失状態などではなく、刑事責任能力を問える状態であった」と判断されます。 出頭から捜査が進んでいく中で、植松聖の罪状は重なっていき、計3回の逮捕となりました。 事件発生から約7ヶ月に及んだ相模原市障害者施設殺傷事件の捜査は、2017年2月24日に植松聖を殺人罪、殺人未遂罪、逮捕・監禁罪、逮捕・監禁致傷罪、建造物侵入罪、銃刀法違反の6つの罪状で、横浜地方裁判所に起訴することで終結となりました。 【相模原障害者施設殺傷事件】現在 引用: 相模原市障害者施設殺傷事件による被害者の家族に対しては 「 被害者と 突然のお別れをさせてしまって申し訳ない」という発言はあったようですが、被害者に対する謝罪の言葉などはありませんでした。 むしろ、相模原障害者施設殺傷事件のような大量殺戮事件を起こしておきながら、植松聖は反省や自責の念を感じているような様子も見られず、現在も「重度の障害者はいなくなるべき」といった主張を変えることなく、面会に訪れる取材記者などに持論を語っているようです。 こうした記者との面会中での内容、手紙などを元にした 『開けられたパンドラの箱』が出版され、賛否両論の声が上がっています。 植松聖による被害者に対する謝罪はない、と先述しましたが、2018年の1月に行われた時事通信社の記者との接見取材において、植松聖が展開する自論の一つである「障害者の安楽死」について記者が触れ「刃物で刺して殺害することは、安楽死ではない」と指摘したところ、初めて 「申し訳なかった」と口にしたそうです。 しかし「他に方法が思いつかなかった」という言葉もあったようなので、植松聖が抱く思想の根本には変化はないと思われます。 この時「自分が殺したのは人間ではないので、殺害には正当性がある」「 自分の罪は 懲役20年程度が妥当だ」「死刑判決を受けたとすれば『バカ言うな』と言う」との発言もあったようです。 こうした強気な発言を繰り返していましたが、2019年の4月に行われた『神奈川新聞』の記者に対して、植松聖は 「死にたくない」などと述べたそうです。 しかし、やはり障害者に対する差別的発言については、その主張を覆してはいない模様です。 植松聖本人は、自らの思想に絶対的な正当性を感じ、相模原市障害者施設殺傷事件を起こしたはずです。 そして、この事件によって亡くなられた被害者はもちろんのこと、この事件によって、家族を失った遺族の怒りや悲しみは相当なものでしょう。 しかし、相模原障害者施設殺傷事件というショッキングな出来事は、世間の人々も傷つき、悲しんだ人々もいれば、恐怖を感じた人々も多くいます。 そうして戦後最悪とまで言われた事件を起こした当の本人・植松聖が「死にたくない」と口にするのは、被害者を失い残された家族たちを始めとし、多くの人々に複雑な感情を抱かせるに十分ではないでしょうか。 以上が、現在明らかになっている植松聖の現在です。 植松聖のやばいエピソードを紹介 引用: 植松聖の発言には危険思想的なものもあれば、常人には理解できない発言も多くあります。 「ナチス・ドイツの思想が降りてきた」という相模原市障害者施設殺傷事件に直接的に関わっていると思われる発言が目立ちますが、他にも「自分はフリーメイソン信者」「UFOを見た」など、オカルト系のものもあります。 そして、自身の同級生らに対しては、会話中に「革命」という言葉を繰り返し使っていたとの話もあります。 相模原市障害者施設殺傷事件の動機ともしている、植松聖の主張である「障害者は生きている価値がない」「安楽死させるべき」といった内容の実現を 「革命」という言葉で表していた、と思われます。 急激な見た目の変化:刺青を入れる 引用: 生い立ちを紹介する中でも記述しましたが、大学時代の植松聖の人間関係は良好で「好青年」というイメージであった、と近隣の住民などから評価されていました。 しかし、20代の前半に交友関係に変化があったようです。 帝京大学在学中には素行の悪い人物との関わりを持ち始め、その頃には上半身から下半身に至るまで、ほぼ全身と言っていいほどに 刺青を入れました。 植松聖は「強い人間」に憧れを持っていたとのことですので、植松聖のイメージとして 「強い人間」が持ちうるもの=刺青ということだったのかもしれません。 しかし、この刺青が原因で、父親に倣い目指していた教師という夢を叶えることはできなくなりました。 刺青については、2015年6月頃から、植松聖が尊敬していた刺青彫り師に弟子入りし、刺青の技術を学ぶ修行をしていました。 しかし、この尊敬していたとする刺青の彫り師に対しても「障害者は皆殺しにするべき」などといった発言をしていたため、彫り師がドラッグ使用を疑い破門にした、というエピソードもあります。 漫画の絵 — 2017年 7月月27日午後8時50分PDT 獄中にある植松聖ですが、彼がその中で描いた漫画が月刊『創』にて掲載されました。 この漫画は植松聖自身が、相模原市障害者施設殺傷事件を引き起こした動機や、彼の考える思想からなる世界観を描いたものです。 漫画の絵はかなり独特で、人によっては恐怖や嫌悪感を感じさせる画風でもあるでしょう。 しかし、詳しくは後述しますが、植松聖の家族である母親が漫画家であったことが影響しての才能か、 植松聖の絵を描く能力そのものは高いものだと評判になっています。 そして、彼が刺青の彫り師として修行していたという話があるので、そうした絵を見た人の中には「これだけの画力があるのならば、刺青の彫り師として生きていけばよかったのではないか」という意見も見かけます。 大麻や危険ドラッグの使用 引用: 相模原市障害者施設殺傷事件の舞台となってしまったやまゆり園から、僅か500メートルほどの場所に自宅を構えていた植松聖を含む家族たちですが、相模原市障害者施設殺傷事件の4,5年前に、一人息子として可愛がっていたはずの植松聖を残し、家族である母親・父親は出て行ったようです。 母親と父親のみが、一人息子であり、その生い立ちからも窺えるほど可愛がっていたはずの家族・植松聖を残し自宅を出て行った理由については、複数の話があり 「植松聖の母親による、近隣住民とのトラブルが原因」というものもあれば 「息子である植松聖が刺青を入れたことに、家 族が 激怒したため」というものもあります。 この後に記述する、植松聖の母親の生い立ち・経歴でも、これについて触れていきます。 大島理森衆議院議長と安倍晋三首相に対し手紙を送る 引用: 植松聖は2016年2月に、大森理森衆議院議長に宛てた手紙を持参し、衆議院長公邸に訪れています。 初め、職員に手紙の受け取りを拒否されますが、翌日も訪れ、座り込みなどの迷惑行為を行い無理矢理に手紙を受け取らせています。 「障害者が安楽死できる世界を」というタイトルのその手紙の内容は、自身のプロフィールと共に、障害者の殺害計画や、その行為に対する自身への見返りについて書かれたものでした。 これを犯行予告と捉えた衆議院事務局は、警察に通報、手紙の提出をしたそうです。 また、安倍晋三首相に対しても手紙を書いていたようで、これも同月に自由民主党の本部に赴き渡そうとしていました。 植松聖の母親の生い立ち〜現在を解説 引用: 植松聖の母親の名前は、 植松麻里とされています。 母親の植松麻里は、過去に漫画家をしていたという話があります。 それによると、1990年代に発刊されていたホラー月刊誌にて連載を抱えていた漫画家だった、とのことです。 ペンネームは、本名である植松麻里をそのまま使っていたようです。 この植松聖の母親が描いたとされる漫画には、かなり過激な描写があり、その内容もショッキングなもので、子供には見せられないような漫画だったようです。 一部の声では「母親が描いた漫画が、植松聖に悪影響を与えたのでは?」というものもあります。 植松聖自身がオカルト的な考えに傾倒していたことを鑑みるに、もしも植松聖が母親の描いた漫画を目にしたことがあるとすれば、そこから影響を受けた可能性もある、という指摘です。 先に記述した、植松聖のみを残しての母親・父親の転居の理由は定かではありません。 しかし「夜中に植松聖の母親のものと思われる、女性の泣き叫ぶ声があった」という話があり、それから半年ほどが経った頃に、母親・父親のみが転居したそうです。 家族間でどのようなことが問題となっていたのかは謎ですが、母親については 植松聖との生活に堪えかねての転居ではないのか?と思われます。 事件後・現在 — 2017年 2月月23日午後6時00分PST 相模原市障害者施設殺傷事件という、戦後最悪とまで言われた凄惨かつ卑劣な事件の犯人・植松聖の生い立ちから現在と、彼の家族である母親と父親の生い立ち等について、ご紹介しました。 相模原市障害者施設殺傷事件発生当時、世間はこの話題で持ち切りで、どんなメディアでもこの事件を取り扱っていました。 しかし、残念ながらどんな事件であれ、時が経つにつれ、少しずつ人々の記憶の隅に追いやられていってしまうのが現実です。 ただ、忘れず心に留めておいておかなければならないのは、植松聖が主張しているような 「障害者は生きている価値はない」などといった思想は、まかり通るものではないということです。 折に触れ、この相模原市障害者施設殺傷事件を風化させないように、何らかの形でまた話題となることがあるかもしれません。 植松聖の生い立ちから考えるに、道を外れるとは思えないという人物であれ、辿る道によっては大きな間違いを犯す可能性もある、というのがこの記事からも伝わったのではないかと思います。 人を傷つけることは、何があっても肯定されることではありません。 植松聖自身が精神的に何らかの問題を抱えていたのだとしても、捜査中に「刑事責任能力を問える」と判断されたように、植松聖が起こした相模原市障害者施設殺傷事件は、計画性のある犯行でした。 これは到底許される罪ではありません。 私たちがこの相模原市障害者施設殺傷事件を受けて考えるべきは、 人の命という大きなテーマですが、だからこそ忘れてはいけない事件でしょう。 二度と同じような悲劇が起こらないことを、心から願います。 人気の記事• 三鷹ストーカー殺人事件とは? この「三鷹ストーカー殺人事件」とは、2013年10月8日の午後16時53分頃、 […]• 薬害エイズ事件とは? 日本を恐怖に陥れた薬害エイズ事件。 薬害エイズ事件とは、80年代に治療の一環として製薬会 […]• 実際にあったマインドコントロール事件! マインドコントロールされてしまうと、自分の思考が持てなくなり相手の意 […]• 福岡一家4人殺害事件とは? 2003年6月20日、福岡県福岡市の博多港で一家4人の無残な遺体が発見される事と […]• 名古屋大学女子学生殺人事件とは? 名古屋大学女子学生殺人事件について耳にしたことはありますでしょうか? […]• イラク日本人青年殺害事件とは? イラク日本人青年殺害事件とは、旧政権の残存勢力だった「イスラム過激派」により […]• 六本木クラブ襲撃事件とは? 東京・六本木と言えばモダンで華やかな街、外国人の多く集まる夜の繁華街などをイメー […]• 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件とは? 今回注目するのは、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件です。 […]• 桶川ストーカー殺人事件とは? 平成と事件「桶川ストーカー殺人」警察に放置された訴え 〜 […]• 福岡母子3人殺害事件の概要 2017年6月6日午前9時20分ごろ、福岡県小郡市小板井(ふくおかけんおごおりし […]• 佐世保女子高生殺害事件とは? 佐世保女子高生殺害事件は、平成二十六年七月に起きた事件です。 犯人・徳勝 […]• 名古屋妊婦切り裂き殺人事件とは? 世間を恐怖に陥れた、最も残虐で猟奇的殺人だった名古屋妊婦切り裂き殺人事件。 […]• 黒子のバスケ脅迫事件とは? 黒子のバスケ脅迫事件とは2012年から2013年にかけて、犯人・渡邊博史が漫画『 […]• 大阪民泊監禁事件とは? 2018年2月に痛ましい事件が起きました。 事件の被害者となった女性、近藤早紀 […]• 仙台女児連続暴行事件とは? 仙台女児連続暴行事件を耳にしたことはありますでしょうか? 仙台女児連続暴行 […]• 松戸女子大生殺害放火事件とは? 事件の発生は2009年10月22日。 松戸市のマンションで火事があり、現場を捜 […]• ドラム缶女性焼殺事件とは? 現在、「ドラム缶女性焼殺事件」という事件をご存じの方はどれくらいいらっしゃるので […]• 飯塚事件とは? 死刑執行後に冤罪の可能性が浮上している「飯塚事件」。 弁護団が捜査の疑問点をまとめました。 […]• イラク日本人青年殺害事件の概要 2003(平成15)年5月、イラク戦争が終結した後もイラクの国内情勢は混迷を […]• 坂本堤弁護士一家殺害事件とは? 【Hickeyの今日は何の日?】 今日(11/4)は 【坂本堤弁護士一家殺害 […].

次の

【相模原大量殺人】元職員の26歳の男、「植松聖」その犯人像、動機は

植松 さとし 家族

植松麻里 ホラー漫画家、顔写真は?過去に猫で近所トラブル?絵本も描いてた?【植松聖の母親か?】 相模原障害者施設殺傷事件の犯人植松聖の母親がホラー漫画家である植松麻里ではないか?との話がある。 そこで植松麻里にまつわる噂顔写真や過去... 高校までは、 特に問題のない普通の子のようです。 津久井高等学校に通い バスケ部で活動し、 将来は学校の先生を目指す少年だったようですね。 学校の先生を目指したのは 父親の影響でしょうか? 高校卒業後、 大学は帝京大学に通っていたようですが、 この頃から、 悪い人と関わったり 整形したり、脱法ハーブや大麻にも手を出していた という情報もあります。 大学卒業後は、 教員にはなれず、 2012年の春から清涼飲料水の運輸関係 自販機に関わる仕事をしていたようですが、 半年で辞めることになり… 2012年の冬、 事件のあった福祉施設 「津久井やまゆり園」で働きはじめます。 2013年4月~ 同施設で常勤として働いていたようですが… 入れ墨を非難する親との関係性の問題か? 母親が猫にあげていたことで 近隣との関係性が悪くなった問題か? 2013年の冬に両親は別の場所へ移住。 植松聖の一人暮らしが始まった。 この後も近所からの評判は悪くなかった しかし、 2016年2月19日に やまゆり園を自主退職。 2016年7月26日に 事件を起こしています。 ちなみに、 植松聖は 「在日」じゃないか? 「韓国人」じゃないか? という話もありますが、 根拠は見つかりませんでした。 Twitterでそういっている人はいますが… スクショありました。 — 悠希🇯🇵いつでも破棄してね🤣 1994yuki1207 Twitterの情報なんで 正確性に欠けますね。 大手ニュースサイトなどの 根拠のありそうな情報はないですね。 絵・漫画 植松聖さんは 大量殺人を犯した犯罪者です。 ですが、 アートという面でみると そういう人たちの普通でない絵に 惹かれる部分を感じないこともない。 植松聖も 絵の腕前はかなりのもので、 普通に上手いです! 母親(植松麻里)が漫画家 ということもあり 美術の才能を受け継いでいるのかもですね。 鳥山明と村上隆と山野一などが混ざり合った混沌感。 殺人者を許すことは 個人的には出来ないですが、 こっち方面に努力すれば、 また違った未来があったかもしれませんね。 ヤクザ 植松聖は 入れ墨をいれていたり、 脱法ハーブや大麻を使用していたり、 ヤクザとの関係も疑われているが… 本人は明らかな関わりは示唆していないですね。 植松被告は、昨年の事件を最初は10月頃敢行する予定だったが、 ヤクザに狙われるかもしれないので計画を前倒ししたと供述したとされている。 これも背後に黒幕組織があったのではないかなどと憶測を呼ぶ一因になっているのだが、接見の時に聞いてみると、「そういうこともあり得ると思っただけで、 深い意味はありません」とのことだった。 ただ、 本人が言ってないだけで、 関わりがあってもおかしくはないですよね。 大麻の入手経路… どこなんでしょうね? 事件の経緯 植松聖は 津久井やまゆり園で働き始めたころは 入居者を「かわいい」と言っていたり、 仕事にやりがいも感じていたようですが 次第に 仕事の不満を口にするようになり、 施設内でも 暴力を行ったりするようになり… 2016年2月15日 事件の前には 大島理森・衆院議長に 犯行文ともとれる文章を渡しています。 — 芸能情報. com com20402607 この文章がきっかけとなったのか 2016年2月19日に 施設「やまゆり園」を自主退職。 危険視された植松聖は 北里大学東病院に入院させられてます。 尿からは 大麻の反応が出ていたようです。 また、その時は二人の医師から診断を受けているのですが、 意見が二つに分かれていたようですね。 ・「大麻精神病と自己愛性パーソナリティ障害」 ・「妄想性障害と薬物性精神病性障害」 その後、 2016年の3月2日に退院。 一ヵ月も経たずに退院しています。 ここも問題になった部分ですが、 関わっていた 精神科医の一人は 資格の不正取得していたようですね。 植松聖の措置入院に関わった精神科医の1名が、精神保健指定医資格の不正取得を行っていたことが発覚しました。 さらに植松を退院させる際、病院側が退位後に必要なケアや復帰プログラムを検討していなかったことが明らかとなり大バッシングを受けました。 事件はその後起こりました。 2016年7月26日 2:00過ぎ 知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に 警備員のいない裏口から侵入し、 東居住棟の1階の窓ガラスを割って 居住者に近寄り、用意していた 数個の刃物で凶行に及び逃亡。 2:38に 職員に通報され 3:00に 津久井警察署に 出頭したようです。 ちなみに 2018年9月4日に再度 精神病の診察を受けた時は 「自己愛性パーソナリティ障害」 と診断されたようです。 思想や出版「開けられたパンドラの箱」 植松聖は 獄中で 出版社「創」と懇意にしているようで、 そこでの対談や それを元にした本 「開けられたパンドラの箱」 を出版しております。 今日、読了した本。 開けられたパンドラの箱 月刊『創』編集部編 『創』 — 利根川越えて tonegawakoe その思想は以下に記します。 「事件を起こしたことは、今でも間違っていなかったと思います。 心失者は人の幸せを奪い、不幸をばら撒く存在です」 「正しいことは、誰かがやらなければならないんです。 たとえ僕が死刑になったとしても、何かが伝われば有意義だと思っています」 私としては、 「他人の宗教や考えは自由だと思っているので、 どのような考えでも別にいいとは思います。 ただし、 それが 他人に危害を及ばさない範囲であれば」 ですが。 その点で どんな考えを持っていようが、 植松聖を許すことはできないです。 「面会は今日で最後にさせていただきたいと思っています。 正直、つらいんです。 自分はどう書かれるのかビクビクしているんです。 弱音を吐いちゃいましたけど、こうやってお話をすることはすごいストレスなんです。 自分の考えには共感してもらえないだろうし、世の中で思われているのとは違って、私は批判されることに平気な人間ではないんです」 こういう 自分の意見をもった犯罪者は メンタル的に強いのかな? と思っていたのですが、 植松聖は 意外と 批判されることは苦手なようですね。 しかし、 その後、 暴れたため 裁判は一時中断。 植松被告は罪状認否後、口元を両手で押さえようとして刑務官に制止されたが、暴れたため一時休廷となった。 弁護人の方からは 責任能力の有無を判断に入れて欲しいといった旨の コメントがあったようです。 検察側は、 残虐な犯行や 責任能力はある といった点から 「死刑」を求刑している。 大麻を崇拝してる? 植松聖の考えた 「多くの人が幸せになるための秩序」 7項目はあるその秩序の中の 第2項目になると 植松聖被告は 大麻の栽培や使用を認めるべきだと息巻いた。 植松聖被告は 過去に使っていた脱法ハーブでは 考える力が低下する一方で 大麻ではそれがなかったこと 海外では合法な国もあることなどを 根拠に大麻を使用すべきという論理を展開。 弁護士側は 「 大麻精神病により別人格となった」ことを主張するも 検察側は 「正常心理の範囲内」と責任能力があることを主張 当の植松聖被告は 「禁断症状ではない」 「責任能力はある」 と主張している。 判決は? 植松聖被告の判決は 2020年3月16日 求刑通り 「 死刑」となりましたね。 弁護人は責任能力の有無を論点にしていましたが、 当の植松聖自身は責任能力が有ると供述していたこと。 19人を殺害するという凶悪性 などから当然の判決ですね。 相模原市の知的障害者施設で入所者19人を殺害した罪などに問われた元職員の植松聖被告(30)に対し、横浜地方裁判所は検察の求刑どおり死刑を言い渡した。 裁判長は冒頭で結論にあたる主文を述べず、判決の理由を先に読み上げていた。 しかし、 2020年3月27日 弁護人の方が控訴をしましたね!? 被告と弁護人の意見がチグハグになっているのですが、 どういうことなんでしょうか? 2020年3月31日、 控訴取り下げましたね。 これによって 「死刑」ということで、 確定しましたね。 まとめ 植松聖は 〇2016年7月26日、相模原障害者施設殺傷事件を起こした犯人 〇2020年1月8日 11:00頃~初公判 〇図工教師の父、ホラー漫画家の母(植松麻里)の元に産まれた 〇獄中で独特な絵・漫画を描いている 〇ヤクザとの関わりは本人は否定している 〇大麻の常習犯 〇判決は「死刑」 ということですね。

次の

植松聖の現在!優生思想の大量殺人がネット上でヒーロー扱い

植松 さとし 家族

相模原事件の裁判が始まってから、ほぼ毎日、横浜に通う日々だ。 公判のなかった1月14日は植松聖被告の接見に行ったから、1月8日以降、平日は毎日、横浜に行っていることになる。 続いて1月20日以降も毎日、公判が入っている。 しかも、いよいよ山場の被告人質問が始まる。 植松被告が事件後初めて、刃をふるった障害者に謝罪する意向であることは、1月14日の接見でわかったが、さてそれを彼はどう語るのか、ぜひ傍聴したいが、またものすごい倍率の抽選になるのだろう。 行ってみないと傍聴できるかどうかわからない。 ちなみに14日の接見については下記で報告したので未読の方はご覧いただきたい。 翌朝小指は噛みちぎったー相模原事件・植松聖被告が面会室で語った驚くべき話 1月15日の第3回公判では、最初に殺害された女性が初めて甲Aでなく美帆さんと法廷で呼ばれたのだが、その母親の調書を検事が朗読するのを聞きながら、思わず泣いてしまった。 障害のある娘を大変な思いをして育て、絆も感じていたのに、その娘を殺されたというのでは、理不尽すぎて、遺族の心情を思うと涙が出た。 隣に座った津久井やまゆり園の入倉園長も途中から泣いていた。 私は傍聴していて涙を流すことはこれまでも何度かあるのだが、今回は最前列の席だったから、ちょっと目立ちすぎてまずいなとも思った。 植松被告にも見られただろうし(苦笑)。 でも遺族の証言は、施設のあり方を含めていろいろ考えさせられた。 この話は近々書くことにして、その前にここでは1月17日の第5回公判での、植松被告の元交際相手女性Aさんの証言を紹介しよう。 証言台に立った植松被告の元交際相手 前から可能なら話を聞きたいと思っていたのが、植松被告の両親と、このAさんだった。 この女性は植松被告の両親とも会っているし、両親公認の「彼女」だ。 ただ、実は植松被告は、事件を起こす直前に、ある女性と「最後の晩餐」をするのだが、これがまた別の女性。 その最後に会った女性については、接見時に植松被告に確認したが、つきあっていたわけではないと言っていた。 二人の女性とも警察の事情聴取は受けていると思うが、最後に別の女性に会っていたというのは、Aさんとしては心中穏やかではないはずだ。 だから裁判のこんな早い段階に、出廷して証言したということに驚いた。 検察側が頼み込んで、Aさんとしては相当な覚悟で臨んだのだろう。 その法廷では、衝立でAさんは弁護側と傍聴席から見えないようにされていた。 Aさんとしても、植松被告と顔をあわせたくないという気持ちだったのだろう。 そしてAさんは、最初に検察側からの質問に答え、続いて弁護側から反対質問を受けたのだが、ちょっと驚いたのは、弁護人が最後に「これは聞きにくいことなんですが」と言った後、「つきあっていた女性はほかにもいたと思われていました?」と聞いた。 女性は「ほかにもいたと思います。 彼にそのことを聞いたことはないですが」と答えたのだが、その後、再び検察官が質問する際、「大丈夫?」「ごめんね」と言っていた。 Aさん自身は傍聴席からは見えないのだが、恐らくかなり動揺して、泣きそうになっていたのだろう。 女性は検察側証人だから、その証言を弁護側が崩そうとするのは仕方ないが、意を決して法廷に姿を見せたAさんに「ほかにもつきあっていた女性がいた」という質問はいささか酷ではないかと思った。 Aさんの証言は、事件に至るまでの植松被告の普段の言動がどの時点でどう変わっていったかというもので、検察側は直接証言してもらうことで、植松被告の事件への計画性などを立証しようと考えたのだろう。 それにしても名前と顔を伏せてとはいえ、植松被告と交際していたことを根掘り葉掘り法廷で尋ねられるというのは、相当のプレッシャーだったはずで、よく証言台に立ったと、女性の勇気に感心した。 傍聴していて驚いた「新日本秩序」の話 女性の証言は概ね、これまで植松被告自身から聞いていた経緯と重なるものだが、随所に重要な内容を含んでいた。 傍聴席にいた私が驚いたのは、犯行前の2016年5月に、Aさんが植松被告に見せられた文書に「新日本秩序」とタイトルが書かれていたという話だった。 「新日本秩序」とは、2017年8月に植松被告から『創』編集部に最初に送られてきた獄中ノートにびっしり書かれていた彼の考えをまとめた文書に書いてあったタイトルだ。 彼はそれを冊子にしたかったようなのだが、表紙のデザイン案も付けられていた。 表紙に「創」の文字が見えるのは、彼が『創』に掲載するか、『創』編集部で冊子にしてほしいと考えたからだろう。 『創』編集部に送られた「新日本秩序」(筆者撮影) 重度障害者の大量殺害を、植松被告は主観的には世直しと思い、安楽死思想を含む自分の考えを体系化させていたのだが、今回の証言でわかったのは、事件の2カ月前にそれはできていたということだ。 この「新日本秩序」については、相模原事件についてまとめた『創』編集部編の『開けられたパンドラの箱』(創出版刊)にも一部収録したし、雑誌『創』では2017年10月号で「植松被告がしたためた『獄中ノート』の中身」と題して7ページにわたって紹介した。 Aさんが見たというのは、その獄中ノートほど長文ではなかったような証言だったが、その時期から植松被告は、自分の考えや世界観を体系化させようと考えていたらしい。 そのほかにもAさんの証言には重要なものが多々含まれていた。 何よりもその証言を顔は見えないとはいえ肉声で聴けたのは貴重なことだった。 以下、その証言の主な部分を、法廷でとったメモをもとに紹介していこう。 二度目の交際時には前と違っていた 検(検察官、以下同)あなたが被告人と交際していたのはいつ頃ですか? A 2014年8月頃からお付き合いし、冬に一度お別れしました。 その後、2015年9月に彼から電話を頂いて、冬にまたお付き合いが始まりました。 検 最初にお付き合いした頃、既に被告人はやまゆり園で働いていたと思いますが、障害者に対して「生きていてもしょうがない」といった考えを話していましたか? A そういうことは全く聞いたことがありません。 一度、やまゆり園の近くで入所者を見かけたことがあるのですが、「あの人は可愛いんだよ」と言っていました。 検 あなたが一度別れた理由は何だったのでしょうか。 A 私と会うのをドタキャンしたりすることが多かったので、もっと一緒の時間を作りたいよと言ったのです。 そしたら「友人と会う時間を削ってまでお前と会うつもりはない」と言われました。 衝撃的な言葉で、涙を流しました。 彼は言ったことを曲げない人なので別れることにしたのです。 検 2015年にまた交際が始まって、被告人が前と変わったなと思うところはありましたか? A (入所者への)ネガティブなワードが増えました。 「生きてても意味ない」「生産性ないから」といったことです。 「あいつら人間でない」「どろどろの食事食べていて…」などと言っていました。 検 「殺す」と言っていましたか? A 殺すというワードよりも、「俺がやる」と言っていました。 検 どうして悪く言うようになったのでしょうか。 A コミュニケーションとるのが難しかったり、介助しててもお礼の言葉を聞くことがない、それに給料も安いし、何のために仕事してるのかわからなくなった、と言っていました。 検 あなたはそれに反論しましたか? A (入所者を)支えているご家族の存在もあるし、一人一人の人権も尊重すべきだし、家族の思いを考えると賛同できないと言いました。 検 それに対して被告人はどう反応しましたか? A 強い口調で「お前、まじで言ってんのか」と言われました。 検 そんなことしたら刑務所に入るよという話をしたことはありましたか? A しました。 でも根拠もなく「何とかなるよ」という返事でした。 検 彼は友人にもそういう話をしていましたか? A 友人にも話しており、「わかってくれるやつはわかってくれる」と言っていました。 検 実際に賛同した人がいると思いましたか? A 思っていなかったです。 適当に流したのが同意と受け取られたのかと思いました。 2016年初めにはトランプやイスラム国に関心 以下のやりとりは、いつ頃の出来事か曖昧なまま進んでいくのだが、状況を総合すると2016年1~2月のことだろう。 当時、アメリカ大統領選でトランプが立候補し、テレビでそのニュースが流れていた。 またイスラム国が人質を殺害するニュースもテレビで流れていた。 そうした世界的な動きにも影響されて、一気に植松被告は事件に至る障害者観に染まり、2月に衆議院議長公邸に殺害を予告した手紙を届ける。 検 その頃、被告人はどんなことに興味を持っていましたか? A トランプさんに対して、この人は大統領になると言っていました。 またイスラム国とか、(フィリピンの)ドゥテルテ大統領とか、ネットニュースで見ているようでした。 賛同するというか、権力ある人が発信する言葉の雰囲気に影響を受けていました。 検 どんな点に共鳴していましたか? A 国境の壁を作ったり、皆が(遠慮して)言わないようなことを言葉にしていると言ってました。 検 当時、被告人がイルミナティカードに興味を示していたと思いますが、きっかけは何だと言っていましたか? A テレビの番組で知ったと言っていました。 ネットで調べたとも言ってました。 カードについてのエピソードとかも話してくれました。 検 その頃、彼の様子が変だと思ったことはなかったですか? A 特に感じませんでした。 検 事件の前に彼は措置入院するわけですが、それについてはどう言ってましたか? A 措置入院した時にはお母さんから連絡がありました。 退院した翌日か翌々日には彼から電話がありました。 検 どんな様子でしたか。 A 前と変わらず元気でした。 検 退院について何か言ってましたか? A 医者をだましたと言ってました。 当初は強く抵抗したけれど、その後は聞き分けの良い子を装ったと言ってました。 検 大麻についてはどう言ってましたか? A 体に良くないのでやめた方がいいよと言ったのですが、気分良くなるし、ほかの国では合法なんだよと言ってました。 検 あなたはやめろと強く言いましたか? A 言わなかったです。 やめた方がいいよと言った時に「やってもないのに言うなよ」と表情が変わったのです。 検 大麻を使っているところを知ってましたか? A 振り返ってみればあれがそうだったのかと思うことはあります。 彼の行動をみていてどうなのかと思うことがあったし、タバコを幾つか選んで吸う時に見たら、タバコの先がよれていました。 コンビニでタバコを買ってきて、小袋に入ってる茶色のものをタバコの先に入れていました。 検 タバコの先に詰め替えていたのは大麻でしたか? A 措置入院したことをきっかけに(大麻が検出され)そうなんだと思いました。 検 吸った時に変わった様子はありましたか? A 少し元気になったり、楽しそうな感じになりました。 検 退院後に被告人は生活保護を受けるわけですが、どうして支給が認められたか言ってましたか? A うつ病と言ってました。 役所に行く時にも「うつ病のふりしてくるから」と言ってました。 ケースワーカーの方がいらっしゃる時には「今からふりしてくる」と言ってました。 どこかでばれるよ、と言ったのですが、「そんなの大丈夫だよ」と言っていました。 検 その頃、障害者への発言はどうでしたか? A ネガティブな発言でした。 「生産性ない」とか「生きてても仕方ない」と言っていました。 検 事件についてどう言ってましたか? A 先駆者になる、刑務所に入っても世間の人がわかってくれてすぐに出てくると言っていました。 検 どうしてそう考えたのでしょうか? A トランプ大統領とか過激な発言で称賛を浴びたりしてしていたし、自分もそこに入りたいと言ってました。 映画をDVDで見て「これだ!」と 次に紹介するのは植松被告が後に心失者という概念を作り上げていくうえできっかけになった映画の話だ。 Aさんの証言は、全体として、これまで植松被告が語っていたことと符合するのだが、この映画の話はこれまであまり知られていなかったような気がする。 検 映画を見て障害者について話したことがあったそうですね。 A 「テッド2」の映画をDVDで自宅で見ていた時、人権についての話になりました(注:この記事では最初、「ペット2」と書いていたが読者から「それは『テッド2』だ」というご指摘があった。 1月22日付で修正する)。 映画でテディベアの人形に人権を与えることができるのかという議論があったのですが、自己認識できることが人間だという話に、「俺が言いたかったのはこれだ」と興奮していました。 肩を叩いて、「これだ」と目を輝かせていました。 退院して翌月くらいだったと思います。 検 彼と一緒にやまゆり園の関係者に会ったことがありましたか? A 5月頃にコンビニでお会いしました。 彼が敬語で話していたので先輩にあたる方かと思いました。 ヘコヘコしている感じでした。 恰幅の良い男性でした。 検 どんな話をしましたか? A (彼がやめた後)園の方でも体制変わったり、対策とられたり、防犯カメラ設置したよと言ってました。 彼は「どこについたんですか」と聞いていました。 でも先輩は「お前、本当にやめろよな」と彼に言い、私にも「よく言ってあげて下さいよ」と言いました。 検 先輩と別れた後、彼はどんなことを言ってましたか? A 怒った口調で「まじで、そういうこと言うなよな」と言ってました。 検 あなたは5月頃に彼から書いたものを見せられたそうですね。 A 「新日本秩序」とありました。 「ニュージャパンオーダー」とも書いてありました。 大麻の合法化とか書いてあったと記憶しています。 検 その後、恋人としてお付き合いは続けていたのですか? A 続けていました。 7月上旬に大阪に旅行に行ったり楽しく過ごしました。 検 彼はその間に美容整形をしたわけですね。 A 見た目がいい方がトクだと言ってました。 整形した後、俺の言うこと聞いてくれるようになったと言ってました。 検 体も鍛えていたのですね。 A ジムに行って体を鍛えていました。 プロテインを飲んだり、ムエタイをやったりしていました。 検 彼との間で予定していたことがあったのですね。 A 8月には花火大会とか格闘技を見に行こうと話してました。 私の仕事の都合でどちらかしか行けないとなったら、彼の都合で格闘技を優先していました。 〔注〕実際にはこの7月26日未明に植松被告は事件を起こす。 だからAさんとの8月の約束は何だったのか謎だ。 施設の仕事を「一生懸命やっても報われない」と 検 被告人の性格をどう思いますか? A 楽観的、自分の意見を曲げない、目立ちたがり屋の面があります。 出かける場所を決める時も彼の意向を優先していました。 DVDを借りる時も、こっちの方が見たいと言っても彼が提案した方に決まっていました。 検 最初に別れた時も自分勝手と思いました? A そうですね。 検 人によって接する態度が変わることはありましたか? A きれいで可愛い人には紳士的で、ふくよかな女性にはぞんざいに接していました。 刺青の先輩とか地位のある人には、尊敬しているという態度でした。 検 被告人に借金があることは知ってましたか? A ありました。 100万かそのくらいだったと思います。 督促の電話が入って、低姿勢で対応していましたが、終わってからは「こんな電話、意味ねえよ」と言っていました。 検 あなたにも借金していましたか? A 脱毛に行くからというので2~3万円、あるいは4万円くらい貸しました。 検 それは戻ってきましたか? A 返ってきていません。 検 被告人の車の運転はどうでした? A 荒い運転で、対向車線にはみ出したり、一般道で100キロくらい出してました。 検 あなたはなぜ彼と別れなかったのですか? A 一緒にいて楽しい場面もたくさんありました。 私のことを考えてくれたり、仕事の後に迎えにきてくれたこともありました。 ご両親にもお会いしたし、私にとっては大切な人でした。 検 やまゆり園を辞めたことで何か言ってましたか? A 現場に関わることで、彼の中でも疲弊したこと、彼の中で屈折したものはあったようですが、いい方へ向かっていくのかと思っていました。 一生懸命やっても報われない、(入所者に)お礼の言葉も言ってもらえないと言ってました。 検察側の立証趣旨は… 以上が検察官からの質疑応答だ。 この後、弁護側の反対質問があり、さらに検察側から、そして裁判員と裁判官からも質問があったが、長くなるので割愛しよう。 この法廷は、Aさんを衝立で区切るなどしたため、傍聴人などの入廷退廷にいつもより時間がかかり、Aさんの証言は10時半の開廷から午後2時頃までかかった。 そして休憩の後、2人目の証人として実名・顔出しで証言したのは、事件当時、やまゆり園の前に住んでいた男性だった。 防犯カメラを自分で設置していたようで、植松被告の車が侵入前に停まり、殺害後に立ち去るのも見ていた。 植松被告の車のバンパーが壊れていたのを、ぶつけてしまったのかと思い、手を貸そうと近づいた。 犯行前に植松被告に「大丈夫ですか」と声をかけたところ「大丈夫です。 やまゆり園の人間です」と答えたという。 検察官は「ろれつが回らないとか、不審な様子はありましたか?」「薬物を使っているような様子はありましたか?」などと証人に尋ねたが、証人は「ありません」という答えだった。 検察官がこの証人を呼んだのは、事件当時、被告が大麻を吸った影響で心神喪失状態だったという弁護側の主張を崩す目的だろう。 犯行後、植松被告が車で走り去った後には、結束バンドが落ち、血痕が見られたなどと証言した。 なお相模原事件については、月刊『創』に掲載したものを1冊にまとめた書籍『開けられたパンドラの箱』を創出版から刊行してある。 事件に至る経緯について植松被告がどう語っていたかも書いてあるので、Aさんの証言と付き合わせてみてほしい。 〔追補〕この記事と、その前に植松被告に接見した話を書いた記事には大きな反響があり、記述についてもいろいろな指摘を受けた。 映画のタイトルは「ペット2」でなく「テッド2」だという指摘も受けて、1月22日に記事を一部修正した。 [追補2](2020年3月4日)上記の元彼女の証言記載について、3月3日に植松被告に接見した際、事実関係について訂正してほしいという要望が出された。 植松被告は「お金は返しました」と言う。 「でもそれは彼女が法廷でそう言ったことだから」と言ったが、「いやそこは曖昧な証言だったと思います」と主張した。 念のために、他の傍聴した人がまとめたメモも確認したが、やはり元彼女の発言は同じだった。 ただ確かにその質問を受けて答える際に、彼女は少し間をあけ言いよどんでいた。 記憶をたどってどう答えるか一瞬考えていたのは確かだ。 いずれにせよそれについては彼女の法廷証言の際の思い違いの可能性もあるし、どちらが正しいかと言ってもあまり意味はない。 植松被告本人が「借りたお金は返したので、返してないというのは誤りだ」と言っていることは明記しておこう。

次の