吉本 興業 会長。 【独白】吉本興業・大﨑会長が40億円の大打撃を「ラッキー」と言う理由

大崎会長【吉本興業】の経歴、ダウンタウン、さんまとの関係を調査

吉本 興業 会長

闇営業を最初に報じたのは、19年6月7日発売の「フライデー」だった。 2014年12月、都内のホテルで行われた振り込め詐欺グループの忘年会に、宮迫博之や田村亮ら複数の芸人が参加していたというのだ。 友人や知人、お世話になった方へのサービスで店や会場に顔を出すことを良しとしてきました。 ただし、反社会的勢力のところには行かないというルールがありました。 これは昔からの決まりで、若い芸人は先輩から学んだものです。 ヤクザとの交際が発覚して島田紳助さんが芸能界を引退したのは2011年でした。 あれから8年経って、芸人の間に緊張感が欠けていたのでしょうか」 と語るのは、竹中氏である。 同氏は1981年に吉本興業に入社し、当時できたばかりの宣伝広報室に配属され、同じ年に情報誌『マンスリーよしもと』の初代編集長に就任。 「年史編纂室」の代表も務め、2015年に退職した。 「関東では、直営業のことを闇営業と呼んでいます。 闇がつくと印象が悪いですね。 関東では、反社と近くてもバレなければいい、という意識があったのでしょうか。 仲介したカラテカの入江慎也は、振り込め詐欺グループだとは知らなかったと否定しています。 信じてやりたいが、反社と付き合ったらアウトですね。 今は清掃のアルバイトをやっているようです。 自身の人脈を生かして、やり直して欲しいです」 林正之助会長は山口組の準構成員 闇営業が発覚した後、7月20日に宮迫と亮が記者会見を開いた。 「吉本興業は、会見はするなと言っていたので、宮迫たちと対立していました。 2時間半にも及んだ会見では、最初、謝罪をしたものの、次第に事件の状況説明になってきて、会見を開くまでの吉本興業や岡本昭彦社長とのやりとりまで明かして、釈明会見になりました。 振り込め詐欺グループは40億円もの被害を出し、40名が逮捕されています。 そんな悪質な事件だったわけですから、とにかく謝罪だけすべきでした」 宮迫らの会見の2日後、今度は岡本社長が5時間半にわたって会見を開いた。 「この会見は、まったく中身がありませんでした。 記者が質問しても、答えられない場面がいくつもあった。 記者が『岡本社長にしかできないことはなんですか?』と質問すると、しばらく沈黙して、『みんなにあとで聞いときます』と答えて失笑されていました」 とはいえ、宮迫は運が悪かったという。 「入江に声をかけられて、謝礼とかは関係なく、ただ彼の顔を立てるつもりで忘年会に参加したのだと思います。 実際、明石家さんまも、入江に貴重なサッカーグッズを手に入れてもらったので、声がかかったら参加していたかもしれない、と言っています。 宮迫は、軽いのりで行ったら、相手が反社だった。 貧乏くじを引いてしまった感じでしょう」 芸人が闇営業を行うのは、吉本興業のギャラが低いからと指摘されているが、 「芸人の世界では固定給なんてありえません。 金がなければ、バイトをすればいい、というのが私の持論です。 ギャラが少ないのは、売れていないからです。 芸人は笑わせたい、売れたい、モテたいという欲を実現するために頑張るしかないのです。 給料が安いから闇営業に行く、という考えはおかしいと思います」 そもそも、吉本興業は40年前から、ヤクザと関わることを禁止していた。 「吉本興業は明治、大正、昭和初期まで、ヤクザとの関わりがありました。 ところが1981年、山口組の田岡一雄三代目組長が亡くなる直前、吉本の舵をとっていた林正之助会長が所属芸人を集めて『今日から、ヤクザとは一切関わってはならん!』と宣言しました」 もっとも、「ヤクザとは関わるな」と言った当の林会長は、その後同じ年に行われた田岡組長の葬儀に出席しているのだ。 「葬儀では、林会長は位牌を持ちながら歩いていました。 親族と同じくらい、田岡組長と関係が深かったですね」 林会長が田岡組長の葬儀に参列した様子をメディアが報じた。 それを見た中田カウスが、会長と交わした会話を竹中氏は今でも鮮明に覚えている。 本書から引用すると、 《会長には、新聞を見せて、これは会長やないんですか、と聞いてみたんです。 すると会長は表情も変えずにおっしゃりました。 しゃあない奴やな。 山口組と関係を持ったのは、1934年。 浪曲師・広沢虎造の興行権を得るために、せいが山口組の山口登二代目組長と面会した。 ところが吉本と映画出演の専属契約を結んだ虎造は、山口県下関の籠寅組と縁を持ち新興キネマの作品に出演する約束を結んでしまう。 困ったせいは、山口組に仲介を依頼した。 すると、1940年、山口登組長は籠寅組に襲撃され、瀕死の重傷を負い、2年後に亡くなってしまったという。 「林正之助氏の話によると、山口登組長が襲われた現場に当時総支配人だった正之助氏も行く予定だったというのです。 用事があって30分遅れたため、助かったとうれしそうに言っていました。 その後正之助氏は山口組と関係が深くなり、兵庫県警の内部資料である『広域暴力団山口組壊滅史』には、正之助氏が山口組準構成員と書かれてありました。 所属芸人にヤクザとは一切関わるなと言ったのは、ヤクザと付き合うのは自分で最後だと言いたかったのでしょうね」 林正之助氏は、1948年に吉本興業の社長に就任した。 山口登組長の死は、吉本興業にも責任の一端があったことから、正之助氏は山口組の田岡一雄三代目と深い関係を持った。 田岡組長の妻名義で4080株の自社株を持たせていたほど、身内同然の付き合いだったという。 話を闇営業に戻そう。 この騒動を機に、吉本は芸人とそれまで口約束だった契約を文書で結ぶようになった。 「口約束が時代に合わなくなったからです。 100年前から芸人とは口約束で仕事をやっていました。 これは、会社と芸人の間に人間同士の繋がりがあったから成立したもの。 強い契りでした。 が、今後は契約書がないと通らないということですね。 コロナの影響でエンタメのあり方も変わってきました。 吉本興業にはリーダーとなって、あの手この手を使ってエンタメを盛り上げて欲しいですね」 週刊新潮WEB取材班 2020年6月27日 掲載 新潮社.

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大崎洋

吉本 興業 会長

伝統の花月もすべて閉鎖 新型コロナウイルスによりテレビの風景が一変した。 バラエティ番組の〝ひな壇〟が消え、音楽番組ではスタジオで出演者が一堂に会することがなくなった。 町歩き番組の新規収録はほぼ不可能となり、過去番組の編集でやりくりしている。 3月17日、コンサートプロモーターズ協会など5団体が、感染拡大によって中止となった公演再開の基準、経済的支援等を求める要望書を国会議員に提出した。 この時点の見積もりで損害額は約450億円。 緊急事態宣言の延長により、その額は増加中だ。 吉本興業会長の大﨑洋は新型コロナを業界全体の脅威だと感じている。 「芸能プロダクションはこれまで商店街のひとつひとつの店が独立して営業していたようなものでした。 新型コロナに対し商店街全体で団結しないといけない」 中でも大﨑率いる吉本興業の損害は甚大である。 「今年の前期だけで20億円から30億円の赤字。 うちは直営の劇場が13あり365日営業してきました。 NGK(なんばグランド花月)だけで年間100万人のお客さんに来て頂いている。 それがゼロになるわけです。 (損害額の大きさは)他の事務所さんどころじゃないです。 桁が違います」.

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大崎洋(吉本興業会長)と明石家さんま・ダウンタウンとのエピソード

吉本 興業 会長

「吉本せい」 1932年-1948年 : 16年間 「林正之助」 1948年-1963年 : 15年間 ・1970年-1973年 : 3年間 ・1986年-1991年 : 5年間 「林弘高」 1963年-1970年 : 7年間 「橋本鐵彦」 1973年-1977年 : 4年間 「八田竹男」 1977年-1986年 : 9年間 「中邨秀雄」 1991年-1999年 : 8年間 「林裕章」 1999年-2005年 : 6年間 「吉野伊佐男」 2005年-2009年 : 4年間 「大崎洋」 2009年-2019年 : 10年間 「岡本昭彦」 2019年- 参考元: なお、 初代社長の 吉本せいさんは、創業者の 吉本吉兵衛さんの嫁であり、創業者の 姓から 吉本という 名前となりました。 さらに、 林正之助さんは、通算で 20年以上も 社長を務めていますが、初代社長の 吉本せいさんの弟です。 そのため、2000年代前半頃までは、完全に 一族経営であったことが分かります。 「ダウンタウン」は、「吉本興業」所属のお笑いコンビであり、関西や関東の多くの芸人が、お笑い芸人となるきっかけを… 吉本興業の歴史とエピソードまとめ 吉本興業は、創業者の姓を取り 吉本と名乗っていますが、現在は オーナー経営ではなく、東京・大阪の 主要民放局(フジテレビ・日本テレビ・TBS・テレビ朝日など)が 主要株主となっています。 なお、2007年9月までは、日本の芸能プロダクションの中で、 95年半の 最も古い歴史を持っており、その歴史は、 よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれています。 そんな 吉本興業の歴史とエピソードまとめについて、ご紹介していきます。 吉本興業の歴史まとめ 吉本興業は、 吉本吉兵衛さんと 吉本せいさん 夫婦が大阪市北区天神橋にあった 第二文芸館を 買収し、 寄席経営を始めた事であり、明治45年の1912年4月1日に 創業されました。 そして、1913年1月に現在の大阪市中央区東心斎橋に 吉本興行部を設立しています。 しかし、1924年に 吉本吉兵衛さんが他界し、 吉本せいさんが 経営を背負うことになりましたが、2人の弟である 林正之助さんと 林弘高さんが 大阪と 東京で活躍しました。 その後、1932年に 吉本興業合名会社となり、 戦後の1948年に 吉本興業株式会社に発足されました。 なお、 吉本興業は経営陣の中枢を 創業者一族で固める 同族企業として出発しており、 吉本せいさんと 林正之助さんの 姉弟、 林正之助さんと 林弘高さんの 兄弟の 主導権争いを繰り広げてきました。 現在では、2005年の 林裕章さんの他界を受けて、 社長の 外部からの登用が続いています。 そして、 吉本興業といえば、 お笑いというイメージがあると思いますが、 戦前は 巨人軍を他社と共同で設立し、草創期の プロ野球界を支えました。 さらに、 戦後は 日本プロレス協会を立ち上げて 力道山をスターにし、近年はスポーツ選手の マネジメントを数多く手がけるなど、 スポーツ界とのつながりも深いことで知られています。 また、元々は全国で 寄席・ 劇場・ 映画館の 経営を手がける興行会社であり、 戦前は松竹・東宝・吉本で 三大興行資本と称され、東京の二大落語家団体の1つである 落語芸術協会の 創設者でもあります。 上記のように、 寄席経営からスタートした 吉本興業は、 お笑いだけに固執せず、 色々な分野に 挑戦し、 成功してきたことが分かります。 2019年には BSデジタル放送への新規参入を果たすなど、常に 先進的な取り組みをすることが歴代社長から 脈々と受け継がれているのだと思います。 (参考元:) 上記の 主なエピソードより、 吉本興業は、 約1,000人近い所属タレントや社員を抱える大きな会社なので、色々な問題があるとは思いますが、長年に渡り「 お笑い=吉本」という概念を崩さず、常に 業界トップを守ってきたことは凄いと思います。

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