烏許がましい。 Slightly

烏滸

烏許がましい

22 今日電車の中で本を読んでいて、「烏滸の沙汰」という言葉が出てきた。 読める人!?私は読めなかった。 「烏滸がましい」と書けば勘で読めるかもしれない。 そう「おこのさた」と読む。 以前「おこがましい」という言葉の意味を調べていて、もともとは現在私たちが使っているような意味ではないことを知った。 「烏滸」は黄河や揚子江に集まるやかましい人のことで、「滸」(水際)にいる「烏」のようにやかましい人びとといったところらしい(参考:)。 「現在では「身の程知らずな」「差し出がましい」で、そのギャップはかなり大きいと思う。 言葉の意味は時代とともに変わるから、現時点で「おこがましいようですが」と多少謙った物言いをするのは間違いではないが、本来の意味を知るとちょっと使うときに抵抗感が出てくるかも? 本来の意味を知り、本の中での使われ方を読んでいるうちに、ああ世の中「烏滸の沙汰」がたくさんあるなぁと改めて思い、タメイキが出てきた。 東京都知事選のあっけない結果とそれまでの過熱報道を併せて考えても、ああ「烏滸の沙汰」だよなと思う。 ネット内のいざこざも然り。 自分の仕事上でも「烏滸がましい」ことがたくさんある。 というより、どうにかして「烏滸がましさ」に慣れていかなければ続けていけない状況だ。 自分の行動についても、時を経て思い起こせば「ああ、私って烏滸がましいことばかりやっていたわ」と自己嫌悪に陥りそうになることもある。 ふと思ったのだが、私たち(私だけではないと思うのだが・・・)は、あまりにも「烏滸の沙汰」に寛容、もしかしたら鈍感、なのではないだろうか。 馬鹿馬鹿しいとわかりきっていても、黙々と何も言わず現状に従う。 「仕方ない」の一言で。 それでいいのか!と時々自分に問うてみるのだが、未だに「馬鹿馬鹿しいからイヤ!」とは言えない。 ああ、思いきりそう言えたら気持ちいいだろうなぁ。 後は野となれ山となれと腹を括って。 *おほほ。 人形町のに行ったざます。 *ハヤシライスとカニクリームコロッケをごちそうになったざます。 *ちょっと味が濃いかなぁ。 ハヤシライス。 *ユニクロに行って試着したけど買わなかった。 *なんかぴったりしないのよね。 オババだからか? *まだ肌寒い日がけっこうあるのでBABAシャツは手放せませんな。

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【おあ】~【おこ】

烏許がましい

本文より 私は御覽の通り委員の中で一人軍服を着して居ります。 で此席へは個人として出て居りまするけれども、陸軍省の方の意見も聽取つて參つて居りますから、或場合には其事を添へて申さうと思ひます。 最初に假名遣と云ふものはどんなものだと私は思つて居るか、それから假名遣にはどんな歴史があるかと云ふことに就て少し申したいのであります。 既に今日まで大槻博士、藤岡君等のやうな老先生、それから專門家の芳賀博士等が斯う云ふ問題に就いては十分御述べになつてありますから、大抵盡きて居ります。 それから當局の方でも又調査の初めから此事に關係して居られる渡部君の如きは詳しい説明を致されました。 其外達識なる矢野君の如き方の議論もありました。 又自分の後に通告になつて居ります中には伊澤君のやうな經驗のある人もあります。 又其の他諸先生が居られる。 然るに私が斯んな問題に就いて此處で述べると云ふのは誠に無謀であつて甚だ烏許がましいやうに自分でも思ひます。 併し私は少し今まで聽いたところと觀察が違ひますので、物の見やうが違つて居りますので、それを述べて置かぬと云ふと、後に意見が述べにくいのであります。 それゆゑ已むことを得ず申します。 一體假名遣と云ふ詞は定家假名遣などと云ふときから始まつたのでありませうか。 そこで此物を指して自分は單に假名遣と云ひたい。 さうして單に假名遣と云ふのは諸君の方で言はれる歴史的の假名遣即ち古學者の假名遣を指すのであります。 而も其の假名遣と云ふ者を私は外國の Orthographie と全く同一な性質のものと認定して居ります。 芳賀博士の奇警なる御演説によると外國の者とは違ふと云ふことでございましたが、此點に於ては少し私は別な意見を持つて居ります。 主もに違ふと云ふことの論據になつて居りまするのは外國の Orthographie は廣く人民の用ゐるものである、我邦の假名遣は少數者の用ゐるものであると云ふことであります。 併しさう云ふやうに假名遣が廣く行はれて居らぬと行はれて居るとの別と云ふものは、或は其の國の教育の普及の程度にも關係します。 又教育の方向、どう云ふ向きに教育が向いて居るかと云ふことにも關係しますのであります。 元來物の性質から言つて見れば外國の Orthographie と我が假名遣とは同一なものである、同一に考へて差支ないやうに信じます。 一體假名遣を歴史的と稱するのは或る宣告を假名遣に與へるやうなものであつて私は好まない。 一體假名遣を觀るには凡そ三つの方面から觀察することが出來ようと思ひます。 即ち一は歴史的の方面である。 一は發音的即ち Phonetik の方面である。 其の外にまだ語原的即ち Etymologie から觀ると云ふ見方がございますけれども、是れは先づ歴史的と或る關係を有つて居るやうに思ひます。 一國の言葉が初め口語であつたのが、文語になる時に、此の日本の假名のやうに音….

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「烏滸がましい(おこがましい)」の意味や使い方 Weblio辞書

烏許がましい

060] 小倉山荘では、2000年~2002年にかけて、『ちょっと差がつく百人一首講座』と題したメールマガジンを発行しておりました。 『小倉百人一首』の中から毎回一首ずつ、100回完結の形式で発行いたし、たくさんの方々に愛読いただいておりました。 この度愛読者様からのご要望にお答えし、バックナンバーを作成いたしましたのでおせんべいを召し上がりながらゆったりくつろいでご覧ください。 尚、マガジンの記載内容につきましては発行時点(2000年~2002年)のものであること、お問い合せ等にはお答えできかねますことを重ねてご了承くださいませ。 【つれなく見えし】 「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形で「冷淡だ」などの意味です。 そのまま「つれない」で現代でも意味は通じます。 「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、過去の女との別れを回想しています。 また、月のつれなさと別れた女のつれなさを重ねています。 【別れより】 「より」は時間の起点を表す格助詞で、「その時から」という意味になり、現在までの時間の経過を表しています。 【暁(あかつき)ばかり】 「暁(あかつき)」は夜明け前のまだ暗いうちのことです。 「ばかり」は後の「なし」と組み合わせて、「~ほど、~なものはない」という意味になります。 【憂(う)きものはなし】 「憂き」は形容詞「憂し」の連体形で「つらい」「憂鬱な」という意味です。 「夜明け前ほど、憂鬱な時間はない」という意味になります。 もうすぐ夜明けだ。 有明の月は、本当に白々と冷たくそっけない。 逢瀬にと女性の許へ行くと、とても冷たくあしらわれ、追い返すような態度をとられた。 そんなことがあってから、私には、暁ほどつらく憂鬱な時間はないのだよ。 そこそこの年齢の男性読者の中には、ふうっとため息をつかれた方もおられるのではないでしょうか。 しょぼくれた男の哀しさ、とでも言いましょうか。 仕事でくたびれ果てて女性の家へ行ってみたら、もうあなたへの興味は薄れたのよ、他に優しい人ができたの、早いとこ帰ってといわんばかりの態度。 未練がましい態度をとる自分が嫌になるし、袖にされて辛いことばかり。 外へ出ると夜明けの月までそっぽを向いているようだった。 この歌は、今まで紹介してきた恋の歌とは一線を画すものがあります。 相手が冷たくて泣き崩れる女性の歌でもなし、逢瀬を遂げた男が相手に夢中になっている歌でもない。 「癒しの場を求めて得られなかった中年男の背中の歌」なんですね。 現代の仕事に疲れた男にも少し通じる感覚で、「袖の濡れて乾く間もない」大泣きの歌より、じんわり心にくるものがある秀歌です。 こういう歌のような情景が小説になったら、それはハードボイルドなどと呼ばれます。 ハードボイルドというと、日本では大藪春彦の小説で有名になったため、タフな男たちが銃で撃ち合ったり殴り合う小説だと思いがちです。 でも、ハードボイルドの魅力は実は、この歌のような「しみじみとした実感」や「やるせなさ」にあることが多いのです。 ハードボイルドの味は若い人には分からない、なんて言いますが、この歌にも一種そうしたところがあるのかもしれません。 なお、作者には次のような歌があります。 「陸奥に ありといふなる 名取川 なき名取りては 苦しかりけり」 (陸奥にあるという名取川だが、無実の中傷をされては苦しいものだ) 名取川は、宮城県の中央を流れ、「青葉城恋歌」で有名な広瀬川と合流して太平洋に注ぐ大きな川です。 川を見るならJR東北本線・南仙台駅で下車すれば近いですが、観光ならやはり仙台市まで足を伸ばしましょう。 伊達政宗公の居城・青葉城をはじめ、仙台博物館など見どころが満載ですし、5月18・19日の両日には、伊達・火縄銃鉄砲隊演武式やすずめ踊りなどで有名な「青葉祭り」が開かれます。 ぜひ一度訪れてみて、人生の苦みを忘れてしまいましょう。

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