磐城 甲子園。 磐城

磐城マネジャー・遠藤百恵さん、名将の父の教え胸に甲子園へ…鈴木尚広氏ら育てる

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そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない 野球に賭ける青春は進学校にもある。 福島県立磐城高校は今年で創立124年という伝統校で、偏差値はなんと68。 進学率は100パーセントで東大や京大を含む難関大学を受験する生徒が多く、旧制中学からの誇りを今に受け継いでいる。 野球部は明治39年創部で114年の歴史を誇る。 春夏通じて9回甲子園に出場し、今回21世紀枠で46年ぶりの選抜を目指す。 21世紀枠の選考は、野球以外の側面にも重きが置かれる。 不遇な環境の克服や地域への貢献が評価基準になるのだ。 候補に挙がった9校の中から地域のバランスなども加味して3校に絞られる。 部員はわずか20人。 部のモットーは"文武両道" 磐城高校野球部の部員はわずか20人という少数精鋭。 野球推薦はない。 部のモットーは文武両道で、勉強にも野球にも全力投球。 進学校を甲子園に近づけた魔法は、部のOBで数学教師をしている就任5年目の木村監督の頭脳から生み出された。 まず驚いたのは打撃練習。 選手は皆、倒れるほど大きなスイングをする。 一発狙いを戒める指導者は大勢いるが、木村監督はなぜそれを許すのか。 木村監督「こども達が自分の考えをもとにやっていることなので。 今、個々の能力を伸ばしたい事を主旨に置くとここに行き着く」 聞いてくればアドバイスするがそれまでは黙って見守る。 練習メニューは毎日変わる。 選手たちがどんな練習をしたいか意見を出し合い、その意見をキャプテンが取りまとめる。 自主性を育むこと、これも教育。 全ての礎にその発想がある。 キャプテンも選手だけで決め、大会のメンバーも選手間の投票で決めるという。 これぞ選手ファースト。 無責任と違うのは、選手もまた監督を信頼しているところだ。 今も昔も地元の"希望の星" そんな磐城高校は今も昔も地元の人たちの希望の星。 話は1971年にさかのぼる。 炭鉱町として栄えた常磐地方が炭鉱閉山という曲がり角を迎えたころ。 打ち沈む街を活気づけたのが磐城高校だった。 東北勢がまだ全く勝てなかった時代に夏の甲子園で準優勝。 炭鉱閉山の鬱屈 うっくつ を打ち消した磐城高校は郷土に勇気を与えたヒーローだった。 2回戦の前日、台風がいわき市を直撃する そして今、また寄せられる市民の期待。 それは去年10月、日本列島を襲った台風19号。 秋季東北大会は、台風が近づく中で始まる。 磐城高校は1回戦、東海大山形に6対0で勝利する。 台風がいわき市を直撃したのは2回戦の前日だった。 市内の川が氾濫し死者9人。 8千棟以上の住宅が浸水。 自宅が浸水した部員もいた。 翌日の試合。 磐城高校は2対1で勝利し、ベスト8に進出。 21世紀枠への推薦を勝ち取った。 大会を終えると、野球部はボランティアで泥のかき出しや家財道具の運び出しを手伝った。 復興はまだ途上だからこそ、市民は勇気が湧く出来事を待ち望んでいる。 エースは強豪私学の誘いを断り磐城高校へ 今年のチーム、エースは沖政宗投手。 最速141キロ。 中学時代の最速は122キロだったが部分練習で球速アップに重点を置き、141キロを投げるまでに成長した。 沖は強豪私学の誘いを断って磐城高校へ進んだ。 一体なぜだったのか。 沖「勉強も野球も負けたくないという気持ちでやっていたので。 どっちもやる事に価値があると思うので磐城高校に進学しました」 野球を始めてもう10年。 ここまでこれたのは母の支えがあってこそ。 毎日早起きをしてお弁当を作ってくれた母を甲子園に連れていきたい。 ついに迎えた21世紀枠の出場校発表 結果は... 迎えた選抜高校野球の出場校発表の日。 福島の磐城高校に吉報が届いた! これで地元に恩返しできる。 がんばれ磐城高校。 がんばれ福島。 関連記事.

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磐城マネジャー・遠藤百恵さん、名将の父の教え胸に甲子園へ…鈴木尚広氏ら育てる

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概要 [ ] 旧制磐城中学校を前身とする福島県の高等学校。 通称は「磐高(いわこう、ばんこう)」。 男子高時代はと並び、ステータスの高い学校として認識されていた。 その為、浪人をしてまで入学を希望する生徒が多く、いわゆる「中学浪人」が問題となった。 2001年度より女子の受け入れを再開した。 2011年度、文部科学省より(SSH)に指定された。 沿革 [ ]• - 福島県尋常中学校磐城分校が認可される。 - 福島県尋常中学校磐城分校として開校。 - 福島県第二尋常中学校と改称。 - 福島県第二中学校と改称。 - 福島県立磐城中学校と改称。 - 平高月台に新校舎竣工。 - により、 福島県立磐城高等学校となる。 普通科、併設中学校を設置。 - 開始、女子生徒5名入学。 火災により本校舎全焼。 - 第二校舎竣工。 - 図書館竣工。 - 第一校舎、講堂竣工。 - 女子生徒の募集中止、再びとなる。 - 史学部発掘のが重要文化財に指定。 - 講堂火災により全焼。 - 準優勝。 - 同窓会館竣工。 - 講堂焼失。 - 創立100周年、「百年記念館」完成。 - 再開。 - 創立以来初めて新入生女子の生徒数が男子生徒数を上回る。 校歌・校章・応援歌 [ ]• 『福島県立磐城高等学校校歌』 - 作詞:西村岸太郎、作曲:渡辺貞雄。 全国的にも珍しい三拍子。 校章は、の花に「磐」の文字を配したもの。 応援歌『磐城節』は旧制中学のバンカラ学生の心意気を謳っている。 生徒会活動 [ ]• は、毎年3月と9月に役員改選が行われる。 選挙管理委員会の下、会長、副会長、書記、会計が選ばれ、1人の場合は信任投票を行うスタンダードなものである。 また生徒会役員には部活動の部長は立候補できないということが、2005年度生徒会役員選挙で問題となったが、翌年改正された。 生徒総会は、毎年5月と10月に行われる。 部活動、委員会 [ ] 39のと同好会、8の委員会がある。 同好会から部活動、及び愛好会から同好会への昇格は、前述の生徒総会によって生徒の承認を得た後に、校長以下教員の判断で決まる。 近年の例としては、茶道部が挙げられる。 運動部(18部) 野球部、ウエイトリフティング部、ソフトテニス部、柔道部、バレーボール部、剣道部、バスケットボール部、山岳部、卓球部、テニス部、弓道部、ラグビー部、サッカー部、陸上部、テニス部、水泳部、女子ソフトボール部、体操部• 文化部(17部) 文学部、吹奏楽部、史学部、美術部、数学部、物理部、写真部、化学部、演劇部、天文地質部、英語部、生物部、将棋部、合唱部、書道部、茶道部、応援団• 同好会(3会) チアリーディング同好会、バドミントン同好会、華道池坊同好会• 委員会(8会) 出版委員会、保健委員会、放送委員会、美化委員会、ボランティア委員会、図書委員会、防火委員会、選挙管理委員会 運動部では、多くの部活動が全国大会への出場を経験している。 野球部は3回(ただし、このうち2020年のはの影響で中止)、7回に出場し、1971年の(甲子園)では準優勝に輝いた実績を持つ。 ラグビー部は、に17回出場しているほか、福島県勢として唯一への出場経験を持つ。 サッカー部は、に5回出場しており、山岳部は、2003年、2004年と2年連続での5位入賞を果たしている。 このほかにも、陸上部、剣道部、テニス部、水泳部がやに出場している。 2009年にはテニス部が28年ぶりにへの出場を果たした。 また、過去には、ウエイトリフティング部が、1968年の代表である木村岳夫(明治大学を経て安田生命に所属)を輩出しており、木村は同大会ライト級で7位に入賞した。 また、勉学との両立がモットーのなか、1日の練習時間が放課後の2時間と短時間に集中力と効率が求められるが、練習はほぼ生徒に任せていること が特徴的である。 1981年に初出場したでは2001年以来、2004年、2008年、2012年の規定による不出場を除き、毎年全国大会に東北代表として出場し、1981年、2001年、2006年、2007年、2009年(県勢初の3回連続、東北の高校では27年ぶり3校目)、2015年に最高賞の金賞を受賞している。 さらに、これまでの全国大会出場回数も、東北の高校としては2位タイの20回出場を誇る。 また、1984年に初出場したにおいても、2010年までに10回全国大会に出場しており、2001年、2009年と最高賞の金賞を受賞している。 県勢初、東北の高校としては2校目の3年連続出場(2004年~2006年)を果たしている。 音楽家としての道を選ぶ卒業生もおり、2003年度卒業生には黒金寛行 、多田将太郎 がいる。 このほかの文化部においても、将棋部囲碁班がへ出場、写真部がへ参加、文学部がへ参加を始め、で入賞、全国高校生文芸道場総合大会へ参加、委員会活動からは放送委員会がで入賞など、各種競技会で実績を挙げている。 本校がSSHに指定されてからは、化学部、天文地質部、生物部、数学部などの理数系部活動の活動も盛んである。 文化祭 [ ] 高月祭 [ ]• 当初は毎年、現在は隔年9月初旬の土日の2日間に開催される。 土曜日に仮装行列が前や本町通りを練り歩き、日曜日に一般公開され、クラス展示や各部活による出店、やによる演奏を楽しむ事が出来る。 2008年で第43回を数えるが、第42回は110周年事業との関係で7月下旬に行われた。 アセンブリー [ ]• 当初毎年開催であった「高月祭」が隔年になった際、代によって経験できる回数に差があるのは不公平だとして、当時の生徒会長により提案された。 高月祭のない年に開催される。 現在は文化部による発表や芸術鑑賞会が行われる。 高月講習会 [ ]• 磐城高校正門そばにある同窓会館で行われる。 創設は、1958年4月に開講された磐城高校卒業生の進学指導の補修科。 4月、同窓会館の新築により、同窓会主催によって運営されてきた「卒業生講習会」を「財団法人高月育英会高月講習会」と改めた。 その後、高月講習会への入会希望者が多く、同窓会館は教室不足を生じ、7月に2教室を増築、現在まで地域社会の進学指導を担っている。 講習は、によるサテライトネットワーク及び派遣講師で行われ、一斉受講と個別受講があり、既卒生に限らず在校生も講習可能である。 著名な出身者 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2015年5月) 軍人 [ ]• - 元、第97代• - 、第7・8代• - 元衆議院議員、・• - 元衆議院議員、• - 元衆議院議員• - 元衆議院議員• - 元衆議院議員• - 元参議院議員、元海上技術安全局長(1990~1994)• - 第4代• - 元• - いわき市長• - 長、元副社長、元• - 元• - 学界 [ ]• - 、• (菊池章夫、北郷勇一、金子透)- 音楽グループ• OKP-STAR - ミュージシャン(ロックバンド・ベーシスト)• 大介 - ミュージシャン(ロックバンド・ギタリスト)• - 奏者• - 洋画家• - 音楽家・合唱指導者• - 作曲家• - 映画監督• - インディーズパンクロックバンド• - 俳優• - 漫画家 マスコミ・報道界 [ ]• - ・• - アナウンサー• - アナウンサー• - プロデューサー、演出家、作家、ラジオパーソナリティー• - アナウンサー 競技界 [ ]• - ラグビー選手、所属• - 元• - 元サッカー選手、サッカーU-18日本代表監督• - 元ラグビー選手、所属• - ラグビー選手、所属• - 、極真全日本大会3連覇、相談役• - 元本校野球部監督• - 元プロ野球選手• 若松康史 - ドライバー、自動車整備士 実業界 [ ]• - (現)創業者• - 創業者、現社長• - 社長• - 社長、議長• 岡野原大輔 - 株式会社 代表取締役副社長 交通 [ ]• (JR東日本)・下車、徒歩22分• 路線バス「磐高入口」下車すぐ 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ].

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磐城高校野球部 第92回 選抜高等学校野球大会 21世紀枠で出場決定

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書き込んだスコアブックを手に笑顔を見せる磐城・遠藤マネジャー(カメラ・小山内 彩希) 「2020年甲子園高校野球交流試合」(8月10日開幕)に出場する磐城(福島)のマネジャー・遠藤百恵さん(3年)が、ふたば未来学園高(福島)で監督を務める父・太さん(54)への感謝の思いを語った。 磐城野球部OBであり、2008年から16年まで同校監督も務めた太さんの助言を受けながら努力を重ね、マネジャーとして成長。 集大成の舞台でチームの勝利を願った。 一度はあきらめた甲子園。 交流試合が決まり、磐城ナインは活気ある練習を続ける。 百恵さんもマネジャーとして、練習補助や補食のおにぎり作りなどの仕事に追われながら、充実した日々を送る。 百恵さんにとって、高校野球は父と自分をつないでくれた特別な存在だ。 かつて磐城でも指揮を執った父は、相馬(福島)で元巨人の氏を育成するなど、数多くの実績を持つ。 百恵さんも幼い頃から野球漬けの父を見て育った。 元々磐城を目指したのは「進学校で学びたい」という思い。 無事合格した1年春、野球部を見学。 懸命にボールを追う姿に心を打たれ、マネジャーになることを決めた。 以後は、父の車で送迎してもらう生活。 「父はもともと口数が多いタイプじゃないけど、車の中ではいつも楽しそうに話してくれて、それがうれしかった」と百恵さん。 「野球だけじゃなく、学校のことも話します。 学校の先生や野球部OBから『太先生の娘さん』って話しかけられることも多くて、学校生活も楽しい。 自慢の父です」と笑顔で話す。 中学時代は陸上部で、野球は一からのスタート。 特に苦労したのはスコアをつける事。 「書き方を父に聞いたり、スコアブックを見てもらいながら覚えました」。 太さんが録画した甲子園の試合を見たり、勧められたルールブックを読んだりして練習した。 父には、忘れられない思い出がある。 ある日車の中で「甲子園に連れて行ってもらうんだ」と話した百恵さんに「甲子園に連れて行ってもらうんじゃない。 お前はお前の役割を果たして、そこへ行くんだ」。 チームの一員として全力投球する事を伝えた。 磐城野球部の一員として父の言葉を守り、文武両道を貫く娘の姿を、ずっと見守ってきた太さん。 「適当にできない子なんでしょうね」と話す。 車中の時間は父にとっても宝物。 「一緒にいる時間が増えてありがたかった」。 時には疲れて車の中で眠る娘を横目に、よく頑張っているな、と感じてきたという。 交流試合では8月15日、国士舘(東京)と戦う。 「諦めかけていた夢なので、周りの人たちに感謝でいっぱい。 父の分まで勝って終わりたい」と百恵さん。 太さんも「センバツが中止になったときはかける言葉がなかった。 あの場所に行けるのは、一保護者としてとてもうれしい。 誰もが行ける場所じゃないので、いろんなものを見てきてほしい」とエールを送った。 親子の夢は、甲子園という最高の場所で結実する。 (小山内 彩希).

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